辰年こそ一念発起

早いもので2024年で辰年ですね。
年末の2024年予想で言われた1つに、漢字の「辰」から連想する「震」や「振」などの災害予想が正月早々に当たり、身震いしてしまった。

正月早々に能登半島地震の被害に遭われた方々には、心からお見舞い申し上げます。

翌日の羽田空港地上衝突事故もいろいろと騒がれたが、日本航空機の事故としては38年5ケ月ぶりの機体全損事故で、国内最悪の事故から今回は全員脱出できたというから褒めるべき部分もありそうではなかろうかと考える。

この長いようで短い約40年を、大きな事故もなく空の安全を守ってきたパイロットやキャビンアテンダントのたゆまぬ努力を認めてあげようではないかと考えるし、今回の事故を更なる改善でより一層の空の安全を願いたいと…。

本題に戻して…
「辰」といえば、干支の中でも空想上の動物で隆盛の象徴でもあり、変化や動乱も多いようだが…
「龍」と書けば思い出す漢字の1つに『聾』である。それには、自分が『ろう者』だからではあるが…。しかも、「龍」に耳がないのではなく聴こえないという説だったり、角が優勢して耳が退化したという説だったりする。
また「タツノオトシゴ」には耳がないので、いろいろと説が飛び交うものだろう。

そこで、辰年である2024年こそ『ろう者』は特に暴れてもいいはずだろう。
ろう者を含めてあらゆる障害者が長い歴史のなかで置き去りされてきたものを膿み出す時期で、社会変革ができたらと考える。また、あらゆる沈黙を破る機会でもあろうと考える。
例えば、優生保護法で被害裁判を起こすのも1つ、障害者の「逸失利益」の判例を覆すことも1つだろう。

それぞれが権利を主張し、あとに続く若者たちが同じ理不尽に陥らないように声をあげることで、若者たちも年輩者の苦労を知ったり感謝しながら、孫やひ孫世代に繋ぐことで社会が変わっていけたらいいと考える。
ただ、権利主張がわがままと思われやすいが、人権活動の歴史で繰り返されている認識が薄れているのだと思いたい。
そして、権利にはお金も必要だが、理念や精神の方が大事だと感じるのは、わたしだけだろうか?

日本の道徳教育は「おもいやり・親切」に力点が置かれやすいようだが「レア」である視点で社会を見れば、個々がもっと生きやすい環境になるような気がするのだが、ここで「差別」か「多様性」として分かれていく気もしている。
また、世の中の合理化や最適化が進むほどに異質なものに触れる機会が減っていることに気付いていないために、人々の考え方や価値観は単一化していく恐れがあるが、多様性がありつつ、違いを認め合う社会実現が重要な時期にも来ていると考える。

仕事や講師を通じて繋いだ仲間などから見聞したことを更に、わたしができることを考えて1ケ月ちょっと…。
2024年は、自分の強みをパワーアップして動くこともありだろうと。
自分を変えて客観的に見ていくことを心がけながら『ろう者とは何者』を可視化できたらと思う。
奇しくも、2023年6月に「孤独・孤立対策推進法」が成立していることも併せたら、できることは多くありそうな気がしているのは、わたしだけだろうか?