あしもとがフラフラ?!
2023年も早2ヶ月を残すところとなって、ほぼ1年ぶりの投稿。
この1年間は、ほぼ毎日悶々していた。
今年最初にあった出来事は、父親が喜寿を迎える前に亡くなったこと…。
これは、絶対にコロナで殺されたと感じたのだが、黙認しざる得ない状況にあったのだ。
救急で運ばれ、病気検査で転院手術が決まった数日後にコロナに罹患したようだ。
そのために転院手術が白紙となり、コロナ治療を優先的に施すも2度目のコロナに罹り、咳がひどく、肺が白く濁り重症化したために、麻酔で眠らせるはめになってそのまま亡くなったのだ。
奇しくも、ニュースで『コロナワクチン』に殺されたと騒ぐニュースがあったりした頃だった。
また、軽度の認知症を患っている母親とのコミュニケーションがままにならなくなってきたことや、
疎遠にしていた大物の先輩が亡くなったり…。
「人生にはいろいろある」と…。
自分の中で分かっちゃいるのだが、このように毎日のように続くと気持ちが滅入ってしまうものだ。
リタイアメントプランを考えていたわけではないのだが、40代で早期退職して自分のやりたいことをいくつかやってきたつもりだが満足できていないことも併せて葛藤していたのだと、今は思う。
しかし、最近では何故か『原点』に立ち戻って物事を考える機会が増えてきたのだ。
あるイベントに参加したり、客観的に見聞したことを家族で話し合うと、見えてくるものがある。
例えば、ろう運動に携わった自分が、現役のろう者と話す機会もたまにあるが、感覚が全然違うのだ。
現役のろう者は、先駆けで活躍した先輩がいたからこそ今があることの感謝が微塵も感じられないし、運動の意味を間違えているような気がしてならないのだ。
2025年の東京デフリンピックに傾倒している感が強く、ろう者の社会問題が埋もれて立ち消えしてしまっている。
つまり『手話言語条例』や『ろう教育』も一時的に聞こえてくる程度で、日常的に聞こえてこないし、
我が家にも「アイドラゴン」導入してみたものの、新しいニュースが少ないのも疑問に思うのだ。
まして、市内でも県内でも全然聞こえてこないことの異常さを感じるのだ。
それは、どことなく『ろう運動のあり方』に行き詰まっている感があるのは、わたしだけだろうか?
『原点』に立ち戻って、先達が築いた道標を改めて見直してはと思うこの頃である。