言葉の「あや」
最近のTwitterで騒いでいる話題から思うことを…
Twitterで「手話を4ケ月で覚えて教えられる」ことに対して、被害者が騒いでいるのかと思いきや、動画を通じて、ろう者と聴者の間にある言葉の「あや」に操られた騒ぎとしか思えないのだ。
リツイート応援を依頼しているろう者には「冷静になれ!」と言いたい。
単純に文章だけを読めば誤解を招きやすいかもしれないが、手話の文法を適切に理解している聴者の指導者による例文であったり、ある種の達成目標を定めたカリキュラムが組まれた手段であるかもしれない。それゆえに、その教材なり謳い文句の詳細な内容について、まず詳しく検証をすべきだと考える。
それとは別に、発端からあやふやで一方的な言い分に対して、即、便乗するフォロワー達もどうかと思う。
参考までに…全日本ろうあ連盟が定める手話講座の一般的な総学習時間は、
1回あたりの授業が1時間半から2時間だとした場合、入門・基礎・応用と通訳者の基礎・応用・実技と数段階のステップを踏んで、おおよそトータルで200時間は必要かと考えられる。
この200時間を、一般企業における就業時間(約8h)分で学習に集中した場合、おおよそ1ケ月で学び終えることとなる。
それと比較した場合、学習期間が[4カ月]というのは(カリキュラムによるが)長いほうかもしれない。
通信教育の講座でも短い学びでは3ケ月で、聴者が指導しているところも多く目にする。
そんな社会の現状を含めて考えれば、Twitterでの「4カ月で覚えられ教えられる」というのは、その内容によりけりではあるが「あっても悪くはない」という点に考えが落ち着くのではないだろうか。
また単に「手話」と表記した場合「日本手話」「日本語手話」「中間的手話」などのうち、どのジャンルで指導するのかにもよって、判断も違ってくる。どのようにもとれる表記を、あえて「日本手話のことなんだ」と揶揄し、日本語表記の意味するところを100%理解できているとは言い難いろう者が多いことを棚にあげて、Twitterで投稿者の意図する方向へ大衆を向けていこうという、善意に隠れた悪意のようなものがフォロワーや話題に関心をもつ人々へ悪影響を及ぼしているのでは危惧している。
槍玉に挙げられている聴者のホームページやSNS等を見ていると、4ケ月での学習は、ホームスティ型の指導方法のようだし、その人に纏わるツールや活動への想いはわからなくもないところである。
それを敢えて、第三者のろう者が責め立てることはなかろうと考える。
ただ、もしもTwitterの投稿者が、ホームステイ型の指導での実態や受講結果を正確に把握しても納得いかずに投稿したのなら、何に対してどのように納得していないのかを、誰にでもわかるような形で情報公開すべきであろう。
それらを総合的に客観的にみたうえで、フォロワー等の第三者は、それに対する意見を述べるべきであろう。
今回のTwitterのような、子どもの喧嘩みたいな投稿、それに同調していく大衆がどんどんと膨らんでいくような社会では、平和も少しずつ遠ざかっていくのではないだろうか。
真っ当な情報交換ができないようなSNSは、自ら閉鎖すべきだろうとも思ってしまう。
世知辛い世の中になったものだと、口話教育を受けた経験のある人間のひとりとして、言葉の難しさ、重み、誤解の怖さを改めて痛感した。