人間だからこそバランスは大事!
問題や課題があがると必ず家族団欒で持ち出されるのであるが、皆さんはいかがでしょう?
苦手な問題でも、時間が許せるかぎり考えなければいけないと思うのだが、歳を重ねるとルーズになっていることがよくある。
若い頃は翌日の仕事があろうとも徹夜をしてでも考えたり議論もしたものだが、歳を重ねると体力だけではなく、徹夜のような無謀なことができなくなっている。
しかし、歳とともに経験も重ねているだけに考えることの深みが増しているように感じるのは、わたしだけだろうか?
例えば、どうすれば早くできるかと考えるより、安全に長くできるにはどうすればいいのかと言った感じに効率だけではなく安全性などを包含した考え方ができるようになるものと考えている。
『考える能力』をもつのは人間だけであることを考えれば、生きていくうえで『考える』ことは大事なことだろう。
仕事ができなくても働く年数で昇給する「年功序列」が続くようでは人間も仕事も廃れていくだろう。
反対に「成果主義」では、能力があれば昇給しやすいものの競争が厳しく、陰険な差別やいじめが起きたりする。
「年功序列」と「成果主義」のどちらにもメリットとデメリットがある。
特に『ろう者』は異なる言語(手話)であるために「情報障害者」という扱い方をされることも多い。
そのために聴者とのやりとりには時間を要することが多く、どうしても非効率になることもある。
しかし、聴者と同等の情報が得られる環境を整えていれば『ろう者』でも「成果主義」でもやっていける力はあると考えるが、日本ではなかなか難しいところで、それが就業定着率を悪くする原因の1つである。
聴者も『ろう者』に与える仕事がきちんとできる方法を考える前に、自分の言葉を「伝える力」が弱くないかと考えることを意識してほしいと思う。
『手話』を『外国語』に置き換えて考えてみると分かりやすいのではないだろうか?
『外国語』が得意な人は、更に『文化』を知っているかどうかが鍵だろう。
つまり『言語』と『文化』は深い繋がりがあるからこそ「伝統」が生まれたりする。
会話に一方的な圧がかかったのでは誤解も生じるが、少し「耳を傾ける」ことでよくなる場合もあるのではなかろうかと考える。
お互いの会話に「聴く力」と「伝える力」がうまく釣り合えると、問題解決に結びつけられると考えるのはわたしだけだろうか?
わたしでも、未だになかなか難しいことだが、経験と歳を重ねて思う。