人のAI化
ある話しで思ったことを…
ひと昔に言われていた「マニュアル人間」が更に進化して『AI化』しているのか…。
マニュアルに書かれていることはできても、突飛なことに対応できずパクってしまい、周囲を巻き込み共倒れするようなケースがある。
コロナ禍で経営が厳しく、新人教育も研修もままにできず苦慮していることや、接客業では「笑顔」も大事だが『コミュニケーション力』が一番に求められていることなどを話されていた。
人事畑を上り詰めてきた方に、僭越ながらもわたしたちの文章力を褒めて頂き「人間を育てる」ことの難しさを感じているとで、わたしたちにできることは何かを考える機会にもなった。
接客業でマニュアル人間の集合体が「AI化」していては、ちょっと怖いなぁと思う。
人間でありながら、ロボットみたいな対応をされるということでしょう???
接客業は、ふとした会話のなかで居心地よさを提供できる話術を持ち合わせることで営業が成り立つと思うのだが、ロボットのように感情もない対応をされると考えるだけでも背筋が凍ってしまう。
テクノロジーの進化で便利になっていくことは悪くはないのだが、対象は考えるべきだろう。
日本で人工知能ロボットができたのは1970年代で、ちょうど50年の節目にきたところだ。
ここで一旦、ロボットの必要性を考えて欲しいところだ。
ロボット工学三原則で「人間に危害を与えない」「人間の命令に服従する」「自己を守る」とあり、キリスト圏では「神のみが人間をつくれる」といった宗教上の背景がロボットの脅威を感じているようだが、そのような背景のない日本では人間型ロボット研究が盛んと聞く。
そして「鉄腕アトム」や「ドラえもん」のようなアニメに影響された年代が、ちょうど働き盛り世代で、その親から生まれて来た子どもが「マニュアル人間」「AI化」というから考えてしまうのだ。
純粋にロボットをパートナー感覚でつくって、原動力になっているのならいい。
日本で言えば、ペットロボットの「AIBO」が代表になるのかな???
この50年でみていると、犬らしくなっていくけれど所詮は「ロボット」であること。
つまり、人工知能に好みを学習させて初めてかわいく感じるだろうか。
人間の方が麻痺してしまっていると思うのは、わたしだけかなぁ?
ロボットは、産業から地雷探知用に宇宙、手術やエンターテインメントまで多様性にあるが、ネットサイバーにも耐えうる技術で、管理責任者の下で悪用されないシステムで作っていると思いたい。
コロナ禍で医療現場のロボットも活躍するようになったが、カルテや薬品などの配送用なら感染予防になり、効率も上がっていいことだが、患者の病状チェックにロボットはどうかと思う。
遠隔操作でモニターを通したものなら、また我慢できるが相手の顔も見えず、声だけでチェックされるロボットでは、ろう者はコミュニケーションができないだろう。
人間のような手と顔で、表情に頷きなどのリズムが大事なのでロボットとの会話は難しいだろう。
ろう者は生きた人と人で繋がることが大切で、筆談でも「文字」が生きるからこそ会話が成立する。
そういった意味で「人間を育てる」学習にろう者がモデルになりそうな気がするのは生意気かなぁ?