言語の消滅危機⁈
ある文献で「止まらない言語の消滅」に目が留まり、いつかは日本語もなくなるかも…と。
世界の最大言語は中国語・スペイン語・英語である一方で、歴史背景でよくある侵略や文化的抑圧で途絶えた言語もこれまでにもあることを考えたら、日本語も将来的に消えていくことはあり得るんじゃないかと。
日本も、細かいことを言ったらアイヌ語、八丈語、奄美語、国頭(くにがみ)語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語の8言語が消滅の危機にあるという。
また、2月17日のネットニュースで
南米・チリの先住民族「ヤーガン族」の末裔で、独自の言語「ヤーガン語」を話せる最後の1人だった女性が93歳で亡くなったと…
そんな文献やニュースから、ろう者にも同じような歴史があったんだよと声にしないではいられなくなった。手話も一時的に消されそうになったことをご存じですか?
ろう者の権利として取り組みをしている『手話言語法』の施行に、2013年10月に鳥取県を筆頭に全国の433自治体が「手話言語条例」を制定したが、未達の自治体が約1300(2022年2月18日現在)とあり、叶うには程遠いものである。
そして、来年には取り組みから10年になるが、なかなか前進しないという印象である。
また、福祉政策も後進国だった中国や韓国にも負けて、ますます後進国になりつつある現象である。
いろいろな伝統文化を守ろうとしている人たちもいるが、新しいことを追いかける人もいる。
どちらも悪くないのだが、日本人として誇りと思えることって何かと考えたとき、消えてはいけないはずのものが知らない間に消えた時が一番悲しいのではないかと思う。
例えば、流行語も含めて略した言葉を発することは、時代の流れではあるだろうが悲しいことと思えるのだ。これまでにも、死語になった言葉もたくさんあることを忘れてはいけないと思う。
五輪招致のプレゼンテーションで「おもてなし」を公約した発言をしていながら、実際は裏があるということも聞かれたり、錯綜する情報のなかで成功のようで失敗した東京オリンピックだったかも?
それには、コロナ禍でうまく生かされなかったかもしれないと考えると分からなくもないが、悲しいネタとして発散されている事実もある。
世界どこでも情報がみられる現代において、いかに正しい情報を掴むのは難しいが、簡単に鵜呑みし拡散したり、誹謗中傷したりすることは、些かな戦争の始まりで人生の終わりだと思う。
自分の国で守られてきた母語や言葉は、伝統や文化も含めて尊重しあえる世界であってほしいと思うのはわたしだけ???