資格って???
ネットサーフィンをしていると「資格」や「サプリメント」などの広告が必ずあり、それらは鬱陶しいほど多く出てくる。
「資格」について思うことを…
資格は国家資格もあれば、受講さえ修了すれば貰える資格もある。
わたしもいくつかの資格を持っているが、時代の流れも含めて持ち腐れで終わった資格もある。
良かれと思った資格のほとんどが、聴こえないために活かせなかったものばかりだ。
聴こえなくても手に資格を持つことで仕事に就きやすいと期待していたものだが、甘かったのだ。
そして、立派な国家資格を取得しながらも頭でっかちで、臨機応変に活用できない人をたくさん見てきた。
また、名ばかりの資格取得で終わり、長く続かない人もいたりする。
何のために国家資格を取ったのだろうと思う人も…
「自動車運転免許」は更新の必要がある資格の代表格で、高齢者が更新時に認知機能検査や運転適性検査があるようだが、杖をついているような高齢者がブレーキとアクセルの踏み間違えるんじゃとゾっとする場面を毎日のように目にするため、更新時にきちんとした検査を実施しているのかと検査の在り方に疑問をもったりする。
逆に「社会福祉士」や「介護福祉士」のように世の中で褒められるような資格も大したことないなぁと思えてしまう。法律や社内ルールに縛られたり、柔軟に応えられないような資格制度は見直しが必要ではないかと…。
どのような資格でも法律や制度ができる前の方がよかったと思えるのはわたしだけなのか?
ひと昔の「ヘルパーさん」のように、その人に合ったニーズに応えられていた時代に戻ることはならないのかと思う。無論、手話通訳者にも同じようなことが言える。
手話通訳者制度ができる前は、自分が信用できる人を育てて使った。下手な手話でも気持ちが通じていた等といろいろ聞いたことがあると、どうしても法律やルールが邪魔しているようにしか思えない。
法律やルールがあってこそ犯罪等の抑制につながり安全に過ごせるのだが、資格制度まで縛ることは柔軟性を制限してしまうので如何なものかと考えてしまう。
できる得ることを一生懸命やっていますと口々揃えている施設も「誇大誇示」としか思えないのもわたしだけなのだろう…
こういった複雑怪奇な世の中だからこそ、むしろ自分自身だけでも健康に生きたいしピンコロリと逝きたい。