病院あるある?!

病院に行くと、まず『耳マーク』で頭のスイッチが入る。
これは、病院側も筆談で対応できるとわたしは解釈しているため、紙などの用意ができているはずだが、何ひとつの用意ができていないか、メモを探してくる病院が多い。その度に『耳マーク』の意味が分かってないと悲しくなる。

かかりつけ医となれば、通院する毎に医者も慣れて机上にメモが置かれて来るが、初診ではなかなか準備もないのが普通なのだろう。

1987年に『耳マーク』の普及パレードをして長いのに未だに定着できていないのだ。それだけ「聞こえにくい・聴こえない」人への理解が欠如していると考えてもおかしくないだろう。

わたし達はメモよりブギーボードを持ち歩いているが、耳マークを置いてある場所で自前の用意もなく、わたし達のブギーボードを借りて使うようでは耳マークを置く意味がないと呆れて怒りすら覚える。

また、筆談が面倒なので簡潔に済まそうと考える医療従事者もやはり多く聞く。手話通訳者や要約筆記者を信じられないために連れて行かないろう者も少なからずにいる。

色々と心情的に病気は人に知られたくないのが普通と思うが、医療従事者がきちんと患者に寄り添ってこそ、信頼関係ができていくはずなのに寄り添う行動が見受けられない行為では悲しくなる。医療従事者が意識していなくてもそのように患者が捉えられることもあることを念頭において対応すべきだと思う。

まして、コロナ禍中において入院患者は家族や友達との面会も禁止されているからこそ、それ以上に気を遣ってやる必要なのではと考える。入院日数にもよると思うが、長ければ長い程荷物も多くなるので、メモくらいは裏紙なりと準備してやれないものかと思うが、患者の我儘になるのだろうか?