手話の認知度UPのために

つい先日、高速道路インターチェンジから近く交通の便が良いところで[手話を公用語]とする趣旨の集まり[手話マルシェ]なるものが開催されていたようです。

2011年に改正された障害者基本法で『手話は言語の1つである』と明記されてから、もう11年が過ぎ…平成初めの頃のように、あからさまな差別や偏見を感じる機会は減ってきていると思う。

しかし、生活に身近なスーパーマーケットやコンビニやカフェで『どこでも手話だけで通用するか?』というと、そういう場面はなかなか無く…結局は[ジェスチャー]か[書記日本語(筆談)]頼りになってしまうのが現状であり…まだまだ歯がゆい思いをすることもしばしば。

そういった社会を少しでも[自然に手話が通じる]ようにしていこうと活動をしている人達はたくさんいて…それぞれ異なったアプローチでチャレンジしている。

前述の手話マルシェも、そのうちの1つであろうかと思われる。

例えば英語と日本語は音声言語としては同一であるが、異なる言葉だと認識されているだろう。
手話も日本語とは異なる言語と定義づけされている。

件の手話マルシェでは[手話は公用語]と公言され、イベントが開催されたらしい。
ところが…出店する側でさえ[手話はわからないけど筆談はできますので]といった
[書記を含めた日本語でも使用が認められる]という形が所々に見受けられた。

大勢のお客さんがいらっしゃったようで『手話はわからないけど筆談やジェスチャーで楽しめた。手話もやってみよう』という嬉しい反応もあったらしい。

ただ、新聞などのマスコミ各社からの報道はイベント前日であったことや、イベント告知手段のほとんどがSNSなどのネット中心であったことで…

結果として…手話に関心があったり手話を学習中であったり手話を母語とする聞こえないひと(ろう者)であったりする人々への[手話の存在アピール]には多大な貢献をしたであろうが、[ろう者にも手話にも触れたことがない]いわゆる手話を知らない一般社会へのアピールにはなり得なかったように感じている。

また[手話は公用語]と公言するイベントであるならば、日本語の使用を最低限にとどめ、上手下手は問わず、手話だけでの運用をすべきではなかっただろうか。

どうしても会話が成立しないときは[日本語から手話を検索するアプリ・サイト]や[手話の単語]書籍などを『会話に困ったらどうぞ活用ください』などと用意し、あくまでも[手話]が主役なのだと主張すべきではなかっただろうか。

そうすることで手話の認知度も、現時点での翻訳や書籍などの課題もアピールできる機会になったのかもしれない。まさに[手話]そのものをアピールする場となったであろう。

余談であるが…ろう学校での聴覚障害児教育の在り方について、たまにネットで盛り上がったりする場面を見かける。

前述の手話マルシェが公用語としての手話を強く前面に押し出しておれば…ネットでよく取り上げられている教育方針の[残存聴力も声も人工内耳も補聴器も手話も]のような[ナンでもありき]の姿勢に対しても、疑問を投げかける機会として一役買えたのではとも思うと…大勢が集まっただけに、少し残念な気持ちではある。

皆さんはどう思われるでしようか。